日産の技術陣は直列6気筒というGT-Rの伝統に拘ってきたが、90年代に入ると全日本GT選手権では戦闘力不足を露呈するようになった。
GTのレギュレーションでは同一メーカーならばエンジンの積み替えが許されており日産は軽量エンジンへの換装も検討した。
しかし伝統は重く、車重や重量バランスのハンデを負う事は覚悟の上で2001年のR34型は直列6気筒エンジンを積み続けたのである。
2000年、日産開発陣はR34GT-Rに大改造を施した。従来、オイルパン下を通過していたステアリングロッドをシリンダーヘッドの上へ移設し、
その分エンジンの搭載位置を低くし重心を下げた。
ライバル達からはコースオフしたら簡単にエンジンマウントが壊れてしまうと言われるほど極端な改良だったがそれでも実行したのは
重量そのものが重く重心位置も高い直列6気筒エンジンがGT-Rの重荷になっておりホンダやトヨタに勝つ為には限界ギリギリのこの設計が必要だった。
この時、足回りも見直されフォーミュラカーと同じプッシュロッド式の水平マウントしたダンパー&スプリングが採用され車の動きは
よりフォーミュラに近いものとなった。リヤウイングの大型化や車両下面の空力処理などによりダウンフォースの量も大幅に増大。
その結果00年型は99年型とは別物に進化したのである。
01年型はこの00年型を基本として更に空力的改良、ブレーキにも手を加えられて仕上げられた。
GT-Rの武器は何と言っても信頼性の高さと操縦安定性である。スピンしようとしてもできないと言われる操縦安定性をより伸ばし
ドライバーの負担を軽減できるマシンで上位を目指し結果として優勝争いに加わるというのが21世紀型のGT-Rの戦い方であった。
戦線にはNISMOから2台(ワークス)、インパルから1台(プライベーター)の計3台が送り込まれた。