●ショスタコーヴィチ:
《24の前奏曲とフーガOp.87》
第2回録音
録音:1987年、モスクワ
タチアーナ・ニコラーエワ(ピアノ)
【ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガの録音】
大作『24の前奏曲とフーガ』について、ショスタコーヴィチは以下のように語っています。「最初は対位法音楽の技術的な習作のつもりだった。しかしその後構想を拡大し、バッハの平均率クラヴィア曲集に倣って、一定の形象的内容を持つ小品の対位法様式による一大曲集にすることにした」。
1950年7月、ショスタコーヴィチは、バッハ没後200年記念祭に参加するためにライプツィヒに向かいますが、この曲集はもともとその旅行のさなかに練習曲として着想されたものでした。
その後、ソ連代表団の団長として、また、同時に開催されたコンクールの審査員として、さらに閉会式で弾かれた3台のピアノのための協奏曲の独奏者のひとりとして記念祭に参加・滞在するうちに、バッハの音楽から深い影響を受けて作品の構想が拡大したという経緯が上の言葉にも表れています。
ちなみに、このとき開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者は、ソ連から参加した当時26歳のニコラーエワで、彼女の演奏に多大な感銘を受けたショスタコーヴィチは、ソ連に戻ってからもニコラーエワと頻繁に連絡を取り合って作曲を進めて行き、最終的に公開初演を彼女に依頼するほど信頼を寄せていました。
作品は、平均律における24のすべての調性を用いて書かれており、バッハと同じく「前奏曲&フーガ」というスタイルを踏襲しながらも、楽想にはロシア的な要素も濃厚に反映されています。
そこにはロシアの古い英雄叙事詩である“ブィリーナ(語り歌)”からの影響や、ムソルグスキーから自作の『森の歌』に至るまでのロシア・ソヴィエト音楽を俯瞰するような引用なども幅広く含まれており、当初の「技術的な習作」という作曲意図とは遠くかけ離れた壮大な背景をもった作品となっています。
バッハの『平均律』への賛意をあらわすためか、全体の雰囲気は基本的には明快なものとなっていますが、各曲の性格は多彩であり、ときに深い瞑想性を感じさせる音楽から、いかにもショスタコらしい凶暴さを窺わせるものまで、見事なまでの対位法的統一感のもとに豊かな楽想を展開。
なお、作曲は1950年10月から1951年2月の4ヶ月間でおこなわれ、約2ヵ月後の1951年4月5日に開かれた作曲家同盟の会議での席上、ショスタコーヴィチ自身により抜粋試演されて、作曲家同盟から「理想主義的」「形式主義的」と批判を受けます。全曲の初演は、それから約20ヶ月が経過した1952年12月23日、および12月28日に2日間かけておこなわれました。
初演者であるニコラーエワには3度のスタジオ全曲レコーディングが存在します。
第1回は、1962年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、演奏時間は約152分。初演の10年後ということで、ショスタコーヴィチのイメージした作品イメージにもっとも近いのではないかと思わせる引き締まった演奏となっています。
第2回は、作曲者の死後12年を経て1987年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、ロマンティックな性格が強くなり演奏時間は約168分。
第3回は、第2回録音の3年後、1990年に英国のハイペリオンにおこなわれたデジタル・レコーディングで、演奏時間は約165分です。